これにて一件落着?~許す、許さないの境目~その1

来年、すなわち2009年のNHK大河ドラマの内容が決まったようで御座います。

主人公は、「直江兼続」という人物で、

この人物は上杉謙信の養子である、
上杉景勝の忠臣として有名な方で御座います。
この直江兼続、様々な逸話が今日まで残されておりまするが、
中でも有名なのは、「直江状」にまつわるエピソードで御座いましょう。

はいはい、では僭越ながら、この「直江状」について簡単にお話させていただきます。

時は西暦1600年、戦国の乱世を統一した太閤秀吉が没した後、
次の天下人を目指す徳川家康は、次々に有力大名と縁戚関係を結び、
着々と勢力拡大していたので御座います。

その家康の勢力拡大策に乗らず、反抗的な態度をとる大名、
とりわけ会津、いまの福島県のあたりで御座いましょうか、
ここを拠点とする上杉景勝に対し、家康は警戒の目を向けます。
遂には、家康は景勝に詰問状を突きつけるのでございます。

「オマエ、なんや戦の準備しとるらしいけど、

ワシとやり合うつもりやないやろなぁ。

まあ、今やったら言い訳くらい聞いてやるさかい、

ワシのトコまでツラ出せや」


それに対して上杉側も直江兼続が主君景勝に代わって文書でこう答えます。

「武士が戦の備えをしとってナニが悪いんじゃ。

文句があるならそっちから来いや。

いつでも戦の相手したるワ」


この徳川家康にあてた直江兼続の返書こそが、「直江状」なので御座います。

ええ、何故か関西弁で現代語訳をしてしまいましたが、
本当の文書はもっと礼儀正しく格調のあるものだと思いまするが、
そこは正確さよりも、分かりやすさを優先させていただきました。

つまるところ、「直江状」とは
あの徳川家康を相手に、上杉家の家臣でしかない直江兼続

「文句があるならかかってこんかい!」

と豪快にタンカを切った書状なので御座います。

この直江状を受け取った家康は、即座に直江兼続の主君である上杉景勝を討つため、
自ら兵を指揮して江戸を発し、会津を目指してと北上いたします。
その隙をついて、大阪では豊臣家の家臣石田三成が、家康討伐のための兵を挙げます。
三成挙兵の報を聞いた家康は上杉征伐を一時中断、急遽兵を南下させます。
これを迎え撃つ石田三成率いる軍と徳川家康率いる軍とが激突したのが、
かの有名な、天下分け目の大合戦、関が原の戦いで御座います。

ええ、たった一通の文書が歴史的大合戦のキッカケとなったので御座います。
そういった訳で、この直江状にまつわるエピソードは、
日本史に興味をお持ちの方には大変有名な話で御座います。
なお蛇足では御座いますが、現存する直江状は偽物らしく、
本当に家康に対しタンカを切った文書なのかどうかは定かで御座いません。

さて、今宵もスッカリとふけてまいりました。
お題とワタクシの話の内容とに、何の関係もないではないか、
曾呂利よ、遂にボケてしもうたか、とお思いで御座いましょうが、
ご心配には及びません。
本日はお話のマクラだけ、ということでございまして、
ワタクシの話はこれからが本番なので御座います。
なお、直江兼続にはもうひとつ、書状にまつわる有名なエピソードが御座いまして、
そのお話は、今回のお題と深くかかわりを持つお話で御座いますれば、
次回、ユルリとお話させていただきたく存じます。




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    Excerpt: ええと、前回はどこまでお話いたしましたかな? なにせ、思いがけず長いお話になってしまいまして、 ワタクシも少しばかり脳細胞を叩き起こさなければなりませぬ。 はいはい、そうでございました、 直江.. Weblog: 御伽衆 racked: 2008-10-21 21:46