これにて一件落着?~許す、許さないの境目~その4

ええと、前回はどこまでお話いたしましたかな?
なにせ、思いがけず長いお話になってしまいまして、
ワタクシも少しばかり脳細胞を叩き起こさなければなりませぬ。
はいはい、そうでございました、
直江兼続「閻魔様への書状」にまつわるエピソードをご紹介して、
裁く側の兼続と、遺族である領民との
咎人に対する両者の考えの違いについて
ワタクシの思うところを述べさせていただきました。
ええ、この両者には、
咎人を「許す」「許さない」かという
そもそもの立場に違いがあったのではないか、
というのがワタクシのお話で御座います。

さて、ここで皆様の思いを今日の日本に転じてくださいませ。
毎日のようにTVや新聞からは眉をひそめたくなるような事件が
われわれの眼に飛び込んでまいります。
人の命が奪われるような凶悪な犯罪がテレビや新聞で報道されるたびに、
犯人に対する怒りの声、厳罰を求める声が、
世間から、特に被害者のご遺族から強く発信されているので御座います。

「犯人を許さない。厳罰に処するべきだ」

これが被害者のご遺族の正直な声で御座いましょう。

それでも法律は、犯人をも守ろうとしているように思えるので御座います。
法律はまるで「犯人を許せ」と言っているように感じられるので御座います。
いや、そもそも法律は「許すこと」を前提として
存在するのではとないかと思えるので御座います。

「罪を憎んで人を憎まず」

これが法律の建前のようで御座います。

「許す」ことを前提とした法律を拠り所にする裁判官
「許さない」ことを前提としたご遺族とでは
話がかみ合わないのは理の当然で御座います。
ええ、スタートラインが違う、と申してもよいかと存じます。

またまた話を転じまするが、
まもなく、「裁判員制度」が日本において導入されるそうで御座います。
そこでワタクシが裁判所や法務省が発行しているパンフレットを
手に取って読んでみますと、
裁判員制度を導入する理由が記載されておりまする。

パンフレット曰く、

「国民のみなさんが裁判に参加することによって、
法律の専門家でない人達の感覚が、
裁判の内容に反映されることになります。
その結果、裁判が身近になり、
国民のみなさんの司法に対する理解と信頼が深まることが
期待されています」



つまるところ、次のように言いたいので御座いましょう。

「おまえ等一般ピープルの意見も聴き入れるようにしてやるから、

俺ら司法関係者の仕事の高尚さと大変さを身をもって体験してみやがれ」

この解釈は少々意地悪な解釈なのかもしれませぬが、
それほど的外れではないかと存じます。

しかしながら、果たして裁判員制度が導入されたからといって、
「法律の専門家でない人達の感覚」が、司法に活かされるのでございましょうか。
さらに申しますれば、
咎人を「許す」事を前提にした司法界が、
咎人を「許さない」事を前提とする人々の感覚を
どこまで取り入れることができるのでございましょうか。

そして、もしもワタクシが裁判員に選ばれましたらば、
どの様にして、「許す」「許さない」の境目を見極めるべきで御座いましょうか。

おや、スッカリと秋も深まり、
先日までころがるような音色を響かせていた
スズムシの鳴き声も聴こえなくなってしまいました。
今宵はここまでにいたしたく思います。

これにて一件落着?~許す、許さないの境目~その1
これにて一件落着?~許す、許さないの境目~その2
これにて一件落着?~許す、許さないの境目~その3


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